本堂 欄間彫刻
江戸の中後期にかけて渡良瀬川に沿った街道に日光東照宮や妻沼歓喜院聖天堂の彫刻に携わった彫物師が多く存在していました。その中でも花輪(現、みどり市花輪)の公儀彫物師高松又八の弟子たちは、北関東を中心に多くのすぐれた作品を残しています。泉龍院の彫刻も又八の弟子たちが作製したものです。
欄間彫刻 見取り図
欄間彫刻 A~C
本堂正面大間外側の三枚の色彩豊かな欄間彫刻は、上州の左甚五郎と呼ばれた黒保根町田沢出身の関口文治郎(1731~1807)の作と伝えられています。日光東照宮の修繕を手がけた高松又八の弟子の石原吟八郎の弟子で江戸中後期に活躍した彫物師です。また、江戸幕府より武江公儀彫物師の名を許され、日光東照宮の修繕を実施しました。
最近の調査でこの三枚の彫刻は、本堂が建てられた1710年と同じころに納められたものではないかと推測され、文治郎より前の石原吟八郎の同門による作品ではないと推測されましたが、いまだ不確定です。
A 『道元禅師猛虎調伏』
道元禅師が中国で修行中に山中で虎に遭遇した際、持っていた柱杖(しゅじょう)を虎に投げつけるとその柱杖が龍となり虎を追い払ったという物語をあらわしたもの。新潟県西福寺開山堂の石川雲蝶作が有名。
B 『道元禅師と一葉観音』
道元禅師が二四歳で宋(中国)に渡り、天童山の如浄禅師のもとで修行を終え、二八歳の時(1227年)に日本に帰国する際、海上で嵐に遭い、船の先端で観音経を唱えると、蓮の花びらに乗った一葉観音が舞い降り、嵐を鎮めたという様子を表している。雨が斜めに降っている様子を彫刻にしているところが彫刻師の腕の見せ所いったところであろう。
C 『達磨大師と武帝』
達磨大師が南インドから中国へ禅の教えを伝えるためにやってきたとき、仏教の信仰に厚かった梁国の武帝との間で交わした問答の様子を表している。
武帝は、多くのお寺を建設、僧侶に布施をしてきた功徳はいかなるものかと達磨大師に聞いた。達磨大師は、功徳など無いと答える。また武帝が聞く、では,仏法の根本真理とは何か。達磨大師は、からりとしていて聖なるものではないと答える。また武帝が聞く、朕が対面しているのは誰か。達磨大師は知らないと答えた。結局武帝は、達磨が何を言っているのか理解できなかった。そして、達磨は揚子江を渡って、魏に行ってしまった。その後、九年間坐禅をしたのは有名なお話。
欄間彫刻 D~N
本堂大間の七枚(内両面彫四枚)の色彩の施されていない欄間彫刻は、二代石原吟八の弟子で飯田仙之助の弟子である太田市山ノ神の岸亦八(1791~1877)の作品です。これらの作品は、亦八が四年かけて製作したものです。亦八は、前橋藩、館林藩の公儀の彫刻請負主として活躍しました。
D 『親子龍(子持ち龍)』
龍は、仏様の守護として欄間彫刻や天井画に見られる。泉龍院は、龍とゆかりがあるため正面には、龍の彫刻を依頼したと思われる。この彫刻の龍のあごがしゃくれているのは、岸亦八の作風である。
G 『玉巵弾琴と西王母』
彫刻の右側半分が玉巵弾琴(ぎょくしだんきん)で、一弦琴を弾く中国の伝説上の女性・玉巵と龍が描かれている。玉巵は、西王母(せいおうぼ)の娘で、太真王の妃。琴を弾ずれば百禽が集まり、また、しばし龍に乗って四海に遊んだという。左側半分は、西王母で、中国で古くから信仰された女仙、女神。西方の崑崙山に住み、かつての「人頭獣身の鬼神」から「天界の美しき最高仙女」へと完全に変化し、不老不死の仙桃を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めた。
I 『南泉斬猫』
中国唐代の高僧南泉普願(なんせんふがん)和尚の話。あるとき弟子たちが、寺内で二手に分かれて子猫を奪い合っている。そこに現れた南泉は猫を取り上げ、弟子たちを叱りつけて言った。「これはいったい何の騒ぎだ。おまえたち、この有様に対して何か気のきいた一言を言ってみよ。言うことができれば猫は助けよう。しかし言えなければ猫を斬ってしまうぞ。」しばらく待ったが、誰も答えられない。南泉はついに猫を斬った。その晩、所用で出かけていた一番弟子の趙州が帰って来た。南泉からこの話を聞いた趙州は、履いていたぞうりを脱ぎ、黙って頭の上にのせて部屋を出て行った。これを見た南泉は「おまえがあの場にいれば、猫を救うことができたものを」と嘆いた。
十六羅漢、四天王像と摩訶迦葉、阿難像
本堂の須弥壇上には、本尊である薬師如来像及び釈迦三尊像とともに色彩の施された十六羅漢像、四天王像、摩訶迦葉像、阿難陀像が安置されています。この十六羅漢、四天王、摩訶迦葉、阿難陀像は、江戸後期に活躍した花輪の彫物師石原主信(二代常八)、知信(高澤改之助)の作品です。仏師ではない彫物師が仏を彫ることは珍しく、大変貴重な作品となっております。これら像は、安政2年(1855)に安置されました。
本堂 天井画
大間及び内陣の天井画は、仲永秀、英道との銘が記述されていますが、この絵師に関する詳細はわかっていません。大間の格天井一つ一つに色彩豊かな花鳥神獣画(神獣10、鳥13、花12)が描かれています。内陣には、墨で大きな龍の絵が描かれています。
大間内格天井 花鳥神獣画
内陣天井画 龍
本堂 襖 絵
室中(しっちゅう)と呼ばれる内陣横の部屋の襖に二つの題材の絵が描かれています。いずれも中国の故事にちなんだ絵となっています。作者は,不明です。
西王母と長寿の桃(東室中)
西王母は、中国で古くから信仰された中国の古代神話上の女仙、女神。
西方の崑崙(こんろん)山に住み、不老不死の仙桃を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めた。周の穆王(ぼくおう)が西征途上に会い、また、漢の武帝が不老不死の仙桃を授かったとされる。
梅妻鶴子(西室中)
俗世を離れた清らかで風流な隠遁生活を表している。
宋の林逋が西湖の近くに隠れ住み、妻のかわりに梅の木を、子のかわりに鶴を愛でて、一人で清らかに風雅に暮らしたという故事から。